東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)169号 判決
原告
三菱レイヨン株式会社
被告
特許庁長官
【主文】
特許庁が昭和五三年八月二四日に同庁昭和四九年審判第二三〇二号事件についてした補正の却下の決定を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
【事実】
第二 原告主張の請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和四五年一月二八日、特許庁に対し、名称を「ガラス繊維強化ポリエチレンテレフタレート樹脂組成物並びにその製法」(後に補正により「並びにその製法」を削除)とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(特願昭四五―七〇〇七号)をしたが、拒絶査定を受けたので、昭和四九年四月一〇日審判の請求(同年審判第二三〇二号)をし、昭和五二年四月二八日に手続補正書を提出したところ、特許庁は、昭和五三年八月二四日、右手続補正書による補正(以下「本件補正」という。)を却下する旨の決定(以下「決定」という。)をし、その決定謄本は、同年九月六日原告に送達された。
二 本件補正前の特許請求の範囲
ポリエチレンテレフタレート九〇〜五〇重量%と長さ0.05mm以上のガラス繊維一〇〜五〇重量%とから成り、該ガラス繊維のうち長さが0.4mm以上のものが全組成物に対し一〇重量%以下であることを特徴とする、ガラス繊維強化ポリエチレンテレフタレート樹脂組成物
三 決定の理由の要点
本件補正によつて、本願発明の成形用のガラス繊維強化ポリエチレンテレフタレート樹脂組成物は、長さ0.4mm以上のガラス繊維が全組成物に対して1.6重量%以上(一〇重量%未満)含むことが必要の要件となつた。
ところが本願発明の特許出願の願書に最初に添付された明細書(以下「出願当初明細書」という。)には長さ0.4mm以上のガラス繊維が一〇重量%以上含まれてはならないとする理由は説明されているものの、1.6重量%以上必ず含まれなければならないとする理由や、1.6重量%含むか含まれないかによりガラス繊維強化ポリエチレンテレフタレート樹脂組成物で製造された成形品の物性が大きく変わる、すなわち1.6重量%の値が臨界的意義を有することを教示する記載はない。
なるほど、請求人(原告)の主張するように、本願発明の実施例1にはべレット中に0.4mm以上のガラス繊維が1.6重量%含まれた成形品の物性を示す記載はあるが、実施例は本来飽くまで本願発明の実施の態様の好ましい一例であつて、実施例1は1.6重量%含む組成物を用いてある一つの条件の下で成形品を製造した場合にどのような結果を収めたかを示しているものにすぎず、それをもつて組成物中に0.4mm以上のガラス繊維が1.6重量%以上含まれていなければならないとすることまで示しているとは到底いうことはできない。
してみると、本件補正は、願書に最初に添付された明細書の要旨を変更するものであるから、特許法五三条一項の規定によりこれを却下する。
四 決定を取り消すべき事由<以下、省略>
【理由】
一原告主張の請求の原因一ないし三の各事実(特許庁における手続の経緯、本件補正前の特許請求の範囲及び決定の理由の要点)については、当事者間に争いがない。
三そこで、決定取消事由の存否について検討する。
1 右当事者間に争いのない本件補正前の特許請求の範囲と<証拠>によれば、出願当初明細書における特許請求の範囲第一項の記載は「ポリエチレンテレフタレート九〇〜五〇重量%と長さ0.05mm以上のガラス繊維一〇〜五〇重量%とから成り、該ガラス繊維のうち長さが0.4mm以上のものが全組成物に対し一〇重量%以下であることを特徴とする、ガラス繊維強化ポリエチレンテレフタレート樹脂組成物」であるが、その後の補正により、特許請求の範囲第二項以下が削除され、右記載のうち「一〇重量%以下」が「一〇重量%未満」と訂正されたところ、本件補正により右「一〇重量%未満」の前に「約1.6重量%ないし」と加入されたものであることが認められる。そうすると、本件補正は、長さ0.4mm以上のガラス繊維の含有量を出願当初明細書記載の「一〇重量%以下」から「約1.6重量%ないし一〇重量%未満」に改めるだけであるから、特許請求の範囲の減少であることが明らかであり、右減少は特段の事由がない限り出願当初明細書に記載された事項の範囲内であると認めるのが相当である。
2 ところで、前記争いのない決定の理由の要点によれば、その理由の骨子は、本件補正の対象となつている補正内容すなわち本件補正後の本願発明における長さ0.4mm以上のガラス繊維含有量の下限を「約1.6重量%」と限定した理由や右限定にかかる数値に臨界的意義があることが出願当初明細書に記載されていなかつたというところにあることが明らかである。
しかしながら、本願発明のように特許請求の範囲において構成要件に数値の限定が付されている場合においてそのように数値で限定された理由については、特許出願前の公知技術との相違が右数値限定の点のみに存する発明であるような場合を除いては、必ずしも常に技術的事項を根拠とする限定理由がなければならないものではなく、まして、これが明細書中に記載されていなければならないものということはできない。すなわち、右数値限定以外の点でも新規性を認めることのできる発明については、特許請求の範囲を数値で限定した理由としては、必ずしも技術的なものに限らず、例えば、その数値外のところでは実験を行つていないとか、その数値を超えると経済性が伴わない等のことでも右限定の理由となりうるものであり、右の限定をするか否かは結局出願人の意思によつて選択すべきものというべきである。
これを本件についてみると、前記決定の理由の要点によれば、本願発明のうち前記長さ0.4mm以上のガラス繊維含有量の下限を「約1.6重量%以上」と限定した点を除く構成が本願発明の特許出願前公知であつたとの事実は決定の理由とされていないことが明らかであるばかりでなく、<証拠>によれば、本願発明において長さ0.4mm以上のガラス繊維を一〇重量%以下としたことは、出願前公知の技術に比し異方性等の物性に優れている関係で臨界的意義を有し、この点でも、本願発明に新規性があることが認められるから、右「約1.6重量%」の数値限定について、これが技術上臨界的意義を有することその他の技術的な理由が要求されるものではないとするのが相当である。そうだとすると、決定の理由が指摘する前記の事由は前叙の特段の事由とはならないものといわなければならない。
3 被告は、本件補正の結果出願当初明細書には記載されていなかつた新たな技術的知見が加わつたのであるから、本件補正の前後で発明が変更された旨主張する。そして、<証拠>によれば、本件手続補正書には0.4mm以上のガラス繊維含有量の下限を「約1.6重量%」と限定する理由の説明として、右含有量が1.6%より少ない場合の成形品は、外観及び異方性の点では良好であるが、曲げ強度、曲げ弾性率、熱変形温度などの物性値が悪い旨の記載があることが認められる。
しかし、<証拠>によれば、出願当初明細書に記載された発明の目的は、外観及び異方性のほかに強度において優れた成形品を得ることにあることが認められ、前記本件補正による数値限定の理由は、成形品の強度の劣る粗成物を排除することに帰するから、出願当初明細書記載の発明の目的の範囲内であることが明らかである。さらに、<証拠>によれば、前記曲げ強度、曲げ弾性率、熱変形温度などの物性値が、長さ0.4mm以上のガラス繊維と添加量減少により悪化するということは、出願当初明細書に記載された実施例、比較例及び公知技術との対比によつて推測することが可能と認められるので、補正後の発明における1.6重量%の限定理由としてこれらの点を補充したことが直ちに新たな技術的知見を加えるものに相当するということはできない。したがつて、被告主張の前記事由をもつて前叙の特段の事由があるとすることはできない。
4 以上のとおりで、本件補正は特許法四一条により明細書の要旨を変更しないものとみなされるといわなければならないから、これに反する決定の判断は誤りであり、決定を違法としてその取消を求める原告の請求は理由があるものというべきである。
(瀧川叡一 楠賢二 牧野利秋)